遠州七不思議、小夜の中山名物子育飴(水飴)です。
もち米と麦芽から成る、麦芽糖を煮詰めた
昔懐かしい、べっこう色した自然な甘みの水飴です。
配送方法 |
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用途 |
自宅用、ギフト |
内容量 |
430g |
サイズ |
15.3cm××15.3cm×5cm |
重量(外装込) |
543g |
賞味期限 |
1年 |
写真説明
左:パッケージ
中:
小泉屋は静岡県中部の掛川市で、伝説の「夜泣石」の舞台となった
小夜の中山−掛川市佐夜鹿にあります。
宝暦元年(1751年)より創業し(260年前)、名物「子育飴」の製造をしています。
右:遠州七不思議に出てくる夜泣き石。
物語〜小夜の中山の頂上にはお観音様をお祀りした
久延寺(きゅうえんじ)というお寺があります。
ある日の夕方、この寺に、臨月の身になった婦人が
安産をお祈りして帰る途中、
丸い石にもたれて休んでいました。
すると突然、刀を持った山賊が出て来て、
婦人を切りつけ、ふところにあった
お金を取り去って行きました。
婦人は殺されましたが、幸い刀の先が
石に当たった為、お腹を切り落とすことなく
赤ちゃんは無事切り口から生まれました。
子を想う母の魂は、丸い石にのり移り、
助けを求めるために泣きました。
山頂のお坊さんは泣き声に気づき、
山を西の方に下り訪ねてみると、
道の真ん中の丸い石のかたわらで
婦人は殺され、赤ちゃんは虫の息で居りました。
「この有様ではお寺まで赤ちゃんの声が聞こえるはずがない、
泣いていたのはこの石(夜泣き石)に違いない」と思い、
まず婦人を弔って、赤ちゃんをお寺に連れて帰りました。
お乳がなく困った久延寺のお坊さんは
早速、水飴(子育て飴)を作り大事に育てました。
幸い子供は肥立ち良く成長し、音八と名付けられました。
日頃、住職さんより生い立ちの事を聞いて居りましたので、
大人になったら母親の御魂を休めたいと
思い暮らして居りましたところ、
ある朝、お観音様のお告げであろうか、
刃物の研師になる様にと夢を見ました。
十五歳になった音八は西の方へ旅立ち
大和の国、恩知村へ行き、研屋源五郎宅に身を寄せました。
幾多の苦労を重ね一人前の研師に成った時、
一人の侍が来て
一振りの刀を研いで下さいと
音八の前に差し出しました。
見ると刃の先に大きな刃こぼれがありましたので
「大変名剣ですが・・」
と尋ねてみると、侍は思わず知らず(無意識に)
「我、若き頃、遠州の山の中で石に当てた時の刃こぼれである」
と語りました。
長い年月、胸にあった思いを語り合い、
亡き母の御魂を休めたと言う事です。
−東海道小夜の中山夜泣石由来より−
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このお話では侍(轟業右衛門)も昔を悔いて時を過ごし
音八とも和解したお話になっていますが
母の仇とわかり名乗りを上げ、恨みを晴らした・・
というお話もあります。